親として保育士として

  子どもの育ち

正しい子育て・子育ての正解ってなに?

おぎゃ~と、この世に誕生した赤ちゃん。たくさんの愛情を受けて「この世の中っていいな~」と感じながら健やかに育って欲しいものです。

親とは全く違う一人の人格を持つ赤ちゃんを理解しましょう。2歳までは生まれ持った気質が優先すると言われます。ついつい自分を基準に考えてしまいますが、親とは全く違う人格を持った一人の人間です。ありのままの子どもを見つめ、理解し、『親としてどうあるべきか』よりも『どうしたら子どもと良い関係を作れるか』を考えながら、子どもと一緒に歩んでいきたいものです。

  保育者として大切なこと

子どもたちが 自分の人生を自分で切り開いて生きていける

そんな風に育って欲しいと保育士でありである私は思う

子どもたちにはそれぞれ秘めた魅力や力があるのに

その子らしさを十分に発揮できない環境は悲しい

人生?そんな先のことまで分からない?!

いやいや、この世に誕生してからもう始まっている

二十歳を過ぎても親が決めることをやって、親の価値観の中にいる子どもって幸せ?

親とは違う一人の人格を持った人間だから、ありのままの子どもを知ろう

《非認知能力》

今は非認知能力っていわれる、目に見えない子どもたちの中身のこと

昔から保育で大切にしてきたことが命名された感じ…

昔も今も変わらない。どんな言葉をその子どもにかけるのか、それがとても大切

子どもを伸ばすのも、子どもの心を殺すのも「ことば」次第

その魔法の言葉は子どもの先をみつめた保育士の思いが詰まってる

《「意欲的」に「主体性を持って」行動できるような力を身に着けよう》

それは、日常たくさん転がっていること

たくさん失敗して気づく、そして考える

どんどん力をつけていく子どもの目の奥はキラキラと輝いている

0歳から育てたは年長さんで花開く

花開くって、個々が育ち自信となり、その個々が集団として何倍もの力を発揮したときのこと

 

悲しいことは

大人が言うことをそのまま何も考えず、失敗もせず何年も過ごしてきた子どもたち

急に小学校にあがって出来るわけがない

例えば

なぜ先生の話を聞かなければならないの?って

当たり前のことも考えられない

聞くことができなければ困るのは自分ってことも分からない

話しを聞く必要性が分かれば先生の話を聞こうとする

幼少期にただ何となく座らせられていたら

お行儀よくだけで座っていたら

頭の中が何も考えていなければ

意味がない

 

大人の都合でただ待つ時間が、漠然とある子どもの目は曇ってる

興味を持って嬉々とする毎日を過ごす子どもの目は輝いている

 

もの凄く責任がある仕事》

これからを生きる子どもたちが

たくさんの経験から自信を持ち

悩みながらも自分で決めたことに、

責任を持って生きていけるように

回り道したっていい

遠回りしたっていい

自分らしくステキな人生を送って欲しいから

保育士は最善を尽くす♡

 

 

 

 

  保育士のエピソード編

【エピソード1】ちょっと前…かなり前…?!保育士になる前!

☆学生の時の「子どもの心の発達」の授業でのお話し。

あれは確か年長さん(^^♪

運動会が近づき今日はみんなでダンスの練習です♪それぞれが作った三角帽を被り園庭に集合しました。ところがO君がなかなか姿をみせません。おかしいな?と思い保育士が見に行くと、自分のロッカーをガサゴソして何かを探すO君の姿が見えます。O君に声を掛け事情を聞くと、どうやら三角帽子が見当たらなくなったと言うのです。〈それは大変!みんなで探そう!〉ということになりました。しばらくして保育士がもう一度O君のロッカーを覗くと…奥のほうにぐちゃぐちゃに押し込んだ三角帽があるではありませんか!!!O君をみると赤い顔をしてそわそわしています…

さてさて三角帽を発見した保育士はO君に何と声をかけたでしょう?

 と、こんなお話しです。皆さんなら 何と声を掛けますか?

*O君の気持ちを推察してみます。

「おーい、おきつ(姓)あったぞ❕よろこべ❕」

と、声を掛けたのです。

えっ?!この言葉…???なんで?どこが?

乱暴だし、感動する言葉には聞こえない…ですよね?でも この言葉の中に保育者のたくさんの思いが隠されているのです。

「ここにあるわよ!ちゃんと探したの?」とか

「何でここにあるのに無いって言ったの?」とか

「見つけられなかったんだ、今度はよく探そうね」とか…

色々声のかけ方がありますね。

ここで保育者が大切にしたのは、事実を知らせる事子どもの心の逃げ道をちゃんと作ってあげたことでした。O君は三角帽子が上手く作れずみんなの前で被るのが恥ずかしくて隠したことを察知した保育者が「あったぞ、喜べ」と咄嗟に言ったことで、周りは「あったんだ、見つかって良かったね☺」と安堵の気持ちに包まれたのです。本人は‘みっかっちゃった!!どうしようと、ドキドキしたけれど、保育者の一言で自尊心も傷つくことなく済みました。この後、保育者はO君の気持ちをきちんと聞いて、一緒に作り直した…というような授業内容だったと思います。

[エピソード2]

一年目はしごかれた…2歳児クラス子ども21名に保育士4人。リーダー、サブリーダー、サブ、フリーの役割が一週間ごとにローテーションする。新人の私はどこからどこまでが自分の仕事なのか分からない!自分がサブリーダーなら、どのタイミングでサブにバトンタッチするんだろ…

例えば園庭から入室する時、単純計算なら子どもが15人入ったら自分も入室するはず…でもまだ園庭を掛け回っている子どもをFreeの先生が声掛けしてるから、5人残して入室してしまうと大変かな?と、考える。常に保育士と子どもの流れを感じてる。

初めてリーダーになったのは勤めて3週間目ころ。先輩3名を従え?今日の活動を考えた…活動はお散歩♬その日の活動後、ベテランから放たれた一言「今日のねらいは何?」自分なりに答えたものの甘さを痛感した瞬間でした。

それからは「ねらい」こどもにどんなことを働きかけたいのか  そこが大切で、「ねらい」が明確でなければ保育の活動とはいえないことを常に考えるようになりました。

保育所に務めて3年目(^▽^)  あの頃は若かった…

 

 

 

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